歴史

ヨーロッパ旅行の前のお勉強~中世の幕開けと神聖ローマ帝国の誕生~

ゲルマン人の大移動によって西ローマ帝国が滅んだあと、西ヨーロッパ世界にはゲルマン人が建てた国が乱立することになりました。ゲルマン人の建てた大半の国々は短命に終わることとなりましたが、うまく立ち回って勢力を拡大し、西ヨーロッパの最有力国となったのが現在の北フランスに起こったフランク王国でした。

481年にフランク王国を建設したメロヴィング朝の王様、クローヴィスアリウス派からアタナシウス派へ改宗をし、ローマ人たちと良好な関係を築くことに成功しました。

せんせー
せんせー
アリウス派は公会議で異端とされ、ローマ帝国から追放されたキリスト教の一派。ゲルマン人に広く伝播していた。
あおい
あおい

クローヴィスといえば某アニメの序盤で殺されるお兄ちゃんが浮かぶわ

せんせー
せんせー
年齢と趣味嗜好がばれるよ

西ローマ帝国が滅亡し、ローマ教会は東ローマ帝国(ビザンツ帝国)に依存するしかなくなっていました。

しかし、ビザンツ帝国の東で勢力を伸ばしていたイスラム教の影響もあって、726年、コンスタンティノープル教会は聖像禁止令を発令しました。内容は「キリストや聖母マリア、神の姿を表すような聖像を禁止する」というもので、イスラム教はこの偶像崇拝の禁止を厳格に定めており、イスラム教の創始者ムハンマドの顔や唯一神アッラーの姿が描かれることはありません。

ローマ教会はゲルマン人への布教に力を入れていたため、聖書の内容を絵や像にし、ラテン語で書かれた聖書を読めない多くの民衆へ広めるためにも聖像崇拝は不可欠でした。

あおい
あおい
聖書を読めなくても、教会の壁画を見れば内容が分かるなら文字を読めない人でもキリスト教を信仰できるもんね。

ローマ教会はコンスタンティノープル教会と結びついているビザンツ帝国の庇護下から抜け出すしかありませんでした。しかし、ローマ教会がキリスト教会の中で中心的な役割を持ち、教皇が強大な権力を持っているとはいえ、イスラム勢力、異民族、ビザンツ帝国といった数多くの外圧から生き残るには世俗の権力者と手を組むしかなく、後ろ盾を求めるようになりました。

当時、中東でおこったイスラム教はかつてローマ帝国が支配下に置いていたアフリカ大陸の地中海沿岸をほとんど手中に収め、東側からビザンツ帝国を圧迫し、ジブラルタル海峡をわたってイベリア半島まで勢力を拡大していました。

せんせー
せんせー
ジブラルタル海峡はスペインの南端とアフリカ大陸の間にある地中海と大西洋の境目になる海峡のこと。イベリア半島は現在、スペインやポルトガルがある地域のことで、この地方の名産はイベリコ豚だよ。

そのイスラム勢力から西ヨーロッパ世界を救った英雄がフランク王国の宮宰カール・マルテルです。

あおい
あおい
宮宰って何?

せんせー
せんせー
宮廷の最高職のこと。日本でいえば摂政や関白といった職にあたるかな。

イスラム勢力はイベリア半島を手中に収めるといよいよ現在のフランスにあたる地域にまで侵攻してきました。カール・マルテルが731年に南フランスにある都市、トゥールとポワティエの間でイスラム勢力を破り、退けたのがかの有名なトゥール・ポワティエ間の戦いです。この戦いに勝利したおかげで勢いに乗っていたイスラム教徒たちの勢力拡大は何とかイベリア半島以南に押しとどめることができたのです。

イベリア半島ではこの後、イスラム文化が花開き、アルハンブラ宮殿といった傑作が生まれます。イベリア半島からイスラム教の国家が放逐されるのは1492年まで待つことになります。

せんせー
せんせー
スペインのグラナダにあるアルハンブラ宮殿。イスラーム文化の特徴である装飾文様によって華麗に装飾されています。

ローマ教会は強国となっていたフランク王国に保護してもらおうと接近し始めます。当時、フランク王国ではすでにメロヴィング朝の王よりもそれを補佐する役割の宮宰を世襲していたカロリング家の力が強くなっていました。そこで、ローマ教会はカール・マルテルの子ピピンがフランク王国の王となることを認めます。ピピンに恩を売ることでフランク王国とローマ教会の結びつきを強くしようとしたのです。

せんせー
せんせー
それまでお飾りでもメロヴィング家の王がいたわけだけど、とうとう実権を握っていたカロリング家のピピンが王になり、カロリング朝が始まった。
日本でいうと鎌倉幕府を北条氏が乗っ取っちゃったみたいなイメージかな~。
あおい
あおい
ちょっと待ってよ。なんで宗教のトップに過ぎないローマ教皇が他人の国の王権相続問題に口出ししてんの?

せんせー
せんせー
それだけこの当時のキリスト教とりわけ教皇の影響力は強かったってことだね。民衆の精神的支柱を担っていたわけだし。この後キリスト教会は独立国の性格が強い領土や政治権力を保持していくよ。

教皇からお墨付きをもらってフランク王に即位したピピンは攻め落としたイタリアのラヴェンナ地方をローマ教会に自らの即位を認めてくれたお礼として寄進します。これが教皇領というローマ教会が支配する領域の始まりでした。(ピピンの寄進

ピピンの子、カール大帝は各地に遠征し、異民族やイスラム勢力をおいやり、現在のフランス・ドイツ・イタリアを支配領域とすることに成功しました。大多数のゲルマン人たちはカール大帝の下でローマ=カトリックに改宗させられました。フランク王国の拡大はすなわちローマ=カトリック、ローマ教会の勢力範囲の拡大でもあったのです。

カール大帝の治めるフランク王国は東ヨーロッパの大国、ビザンツ帝国に対抗できるほど強大な国力を有しました。ここでローマ教会は以前から距離を置いていたコンスタンティノープル教会やビザンツ帝国と決別し、カール大帝に西ローマ帝国の皇帝としての帝冠をおくりました。これが世に言う「カール大帝の戴冠」です。

ここに西ローマ帝国復活することになります。

カールの戴冠は西ヨーロッパと東ヨーロッパが大きく二分されたという大きな意味を持ちます。政治的面ではビザンツ帝国とフランク王国、宗教面ではローマ教会とコンスタンティノープル教会、文化面では偶像崇拝容認と禁止。古代ローマの支配下で一つだったヨーロッパ世界が2分され、このあとたどる歴史もまったく異なる流れをたどることになる大きなターニングポイントだったのです。

復活した西ローマ帝国でしたが、支配構造がカール大帝と地方の有力者との個人的な結びつきでしか構築されていなかったため、カール大帝が死ぬとフランク王国はあっさりと瓦解してしまいます。

フランク王国は現在のフランスを支配領域とする西フランク王国、現在のドイツを支配領域とする東フランク王国、そして、イタリア王国の3つに分裂してしまいました。

こうしてローマ教会はせっかく作り直した西ローマ帝国という大きな後ろ盾を再度失うこととなりました。

分裂後のイタリア王国は王国の南にあるローマ教皇領を圧迫し始めました。慌てたローマ教会は東フランク王国のオットー1世に助けを求めます。ここで西フランク王国ではなく、東フランク王国だった理由は西フランク王国でカロリング朝が滅んでしまっており、後継者争いでごたついていたから。かく言う東フランク王国でもすでにカロリング朝の血統は絶えており、オットー1世はカロリング朝断絶後に選挙で選ばれたザクセン家の王でした。

ローマ教会はイタリア王国の侵攻から救ってくれたオットー1世にまたもやローマ帝国の後継者として冠を授けます。

このときに誕生したのが神聖ローマ帝国です。

あおい
あおい
神聖ローマ帝国!名前はよく聞くし、めっちゃかっこいいよね!

せんせー
せんせー
神聖ローマ皇帝って名前はかっこいいし、名目上はヨーロッパ各国を束ねる首長って立場だけど、実際には内政はまともに行わず、「イタリア政策」と呼ばれるイタリアへの干渉を行ってばっかりで、国内は有力諸侯が乱立し、ほぼ分裂状態だったんだよ。
あおい
あおい
自分の国ほったらかしてイタリアにかまいっぱなしとは、ドイツ人はこの当時からイタリア大好きなのかw(イタリア旅行はドイツ人に人気)

 

 

参考文献

 

 

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以上の点を念頭において、「ヨーロッパ旅行が少しでも楽しくなればいいや」と軽い気持ちで読んでいただけると幸いです。

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