三位一体説とは
「この世界を創造した神」、「救世主としてつかわされた神の子イエス」、「鳩に象徴される聖霊」。この3つは同質だとする考え方で、現在のカトリック教会でもこの立場をとっています。
キリスト教がローマ帝国に公認された当時、キリスト教会内部で教義をめぐる論争が起きていました。
コンスタンティヌス帝は325年にニケーア公会議を開催し、この論争に決着をつけることにします。
この会議でキリストを神と同一視するアタナシウス派が正統とされ、キリストは人間だと考えるアリウス派は異端として追放されてしまいました。
ローマ帝国外に広がるキリスト教
アリウス派はキリスト教会の表舞台から追放されたものの、ローマ帝国より北に住んでいたゲルマン人たちに伝道され、広まっていくことになりました。
正統とされたアタナシウス派の考えがのちの三位一体説に発展。
431年のエフェソス公会議では同じく三位一体説から外れた考え方をするネストリウス派が異端とされます。
分裂するローマ帝国と教会
ディオクレティアヌス帝やコンスタンティヌス帝はローマ帝国の分裂を防ぐため、ローマ帝国の再建に努めていました。
しかし、のちのテオドシウス帝は395年にローマ帝国を東西に分割して二人の子供にそれぞれ継がせ、これにより、ローマ帝国の東西分裂は決定的となってしまいました。
キリスト教会の二大勢力
広い範囲で信仰されるようになったキリスト教は5つの大きな教会を設置してそれぞれ活動を行っていました。
五本山と呼ばれるローマ、コンスタンティノープル、イェルサレム、アンティオキア、アレクサンドリアの5つの教会です。
この中でも使徒の一人ペテロの権威を継承するとするローマ教会と東ローマ帝国の強い後ろ盾を持っていたコンスタンティノープル教会が二大勢力に成長しました。
ローマ帝国の時代には「ビザンティウム」と呼ばれていた都市をコンスタンティヌス帝が自らの名を冠した「コンスタンティノープル」と名を改め、ローマ帝国の都をコンスタンティノープルへ移した。
この二つの教会はのちに東西に分裂したローマ帝国がたどったそれぞれの運命により、大きく歩む道をたがえることになる。
以上の点を念頭において、「ヨーロッパ旅行が少しでも楽しくなればいいや」と軽い気持ちで読んでいただけると幸いです。